2015年4月27日月曜日

人生において



あとどのくらい許されているのかいつも不可知なものではあるが、その残された限りのある時間を、できるだけ大切に、大事に過ごしたいと思えたら、「認識、またその蓄積の連続である”日々”に、今現在より更に解像度の高い、綿密な理解力を以って臨みたい」と思うのは、ある種、脳という器官の生み出す”心”と言う現象の当然の機能と言えるかもしれない

そうしたら、”学問を修める”という方法論は、”認識とその蓄積である人生”において、最期の瞬間まで必要不可欠なものといっても過言ではない

それを楽しめる心持ちであることは、準じてそのまま、”人生を楽しめる”と言っても言い過ぎではないんじゃないだろうか

またそのような境地に至れるのであれば、それまでのプロセスにおいて、どのような形であれ、苦しんで経験を積むという事は、必ずしも決してネガティブな意味合いだけを持つことではないと思う

心は物質ではなく現象


であればその現象の捉え方はそれぞれの心のオペレーションだと思う


そのオペレーションの精度を上げたいと思う俺は、我々が日頃当たり前のように行う、「物事、事象を概念化して日常の認識に役立てる」という作業において、当たり前のように駆使される”言語”というモノを、今一度根底からしっかりと見つめ直す必要がある

それをやるだけの気構えがないのであれば無理にやらないほうがいいけど、あるというのであれば、やはりやったほうがいい






いい季節になってきたなおい



川行くか