2014年6月30日月曜日

超癒しの





動画見てる















また明日から暫く忙しいからのー












意識を主軸とした判断






疲れている人にとっては「疲れている」




疲れていない人にとっては「疲れていない」





その判断の如何によって、視界に飛び込んでくる、または聴覚に飛び込んでくる、などといった五感で捉える世界はまるで異なったものとなってくる




そうやって捉える、脳に入力される情報のおおよそは物理現象である





しかしながら、それらを受け取り処理する、判断する機関である意識自体は物理現象では無い




物理現象ではないが、これを書いている自分自身も意識なので、その存在は疑いようがない




世界なんてものは自分次第でどうとでも変わる、ということを徹底的に検証していくには、意識とは何なのかと言う、解決しきれないであろう問題を考えていくことを外すことはできない





現に今も、毎日世界が変わっていくのを肌で感じている





解決できるかできないか、というところが重要なポイントなのではなく、向き合って考えていくのか、蓋をして考えないでいくのかという違いが大きな違いという事なんだと思う








2014年6月27日金曜日

寝る前



雑にやると、時間ははみ出る




どこかに「歪み」という形で、リベンジをもたらす






丁寧に体感をとると、時間は不思議と、その枠に治まる





意外にも、すんなりまとまってしまう






そういう感覚を、最近往々にしてもつ






体内時計の事を言いたいわけじゃないが、時間の経過というものは恐らく、主観である自分の意識の判断によるところが大きい、いや恐らく、それに尽きるのではないか





例えば、「早く家に帰りたい」と思う







この目的を立ち上げた段階で、「早く帰れない」状況に陥ると、人間は無意識下で摩擦を生じる





所謂、ストレスというやつ






これが実はその後も自分を本来望まぬ方向へと引っ張り続ける







恐らくこの場合一番いいのは、状況をそのまま受け止め、精査しながら丁寧に「帰る」ことではないかと、自分は思う






ネガティブに、決めつけによって雑にトピックを処理して、その後の行動もつい雑な流れに引っ張られて行くのは、紛れもなく主観たる存在の自分自身の判断ではないのか







それは言い換えれば、自分の既存の価値基準に依存した世界を無意識ながらも毎度おなじく選択しているわけで、自分で自分の未来を、精査することなく惰性に決めつけているようなものだと思う




まあもちろん、最初に慌てふためかないこと、というと聞こえは簡単だが、実際には非常にむつかしい





だからこそ、普段から自分との充分な対話が必要だと思う





自分なんてものは、自分が一番知らない






でも一番最後まで付き合うのも自分である





ならば、話を聞かない訳にはいかないはずである








芋焼酎飲んで駄文を書いた









寝る









2014年6月25日水曜日

地元も徐々に




夏の空だったわ






夏至の日の空ね







summer solsticeやるわいねそらー

2014年6月23日月曜日

実家から




戻りました





またすぐ行くけどね、プライベートで





ばあちゃんWORKS

2014年6月14日土曜日

いい季節に





なってきたね



時間を



無限と捉えているか、有限と捉えているかは、その人その人の発言の端々に往々にして表出する






視点が分かると、面白いもので、なんとなくの思想形態だったり、無意識でのフォームもちょっと想起されてきたりする(思い違いの場合も度々あるので、あくまで印象に留めておく事が多いが)





俺は時間を有限と捉えている





なので悲しみや倦怠にくれる時間はない






死ぬまでやる事でいっぱい、今日ももれなく





結論だけ端的にいうなら、それがとても楽しいという事は、俺の人生はそういうもので、そうやって死んで行くんだろう




捉えきれているわけでも、頭でわかったわけでもないけど、それでいい