2013年12月23日月曜日

海外からの




お便りを










良い文化ですね




全体のイメージ



見えてきたが




デジタルをどう消化してくかが課題、というか遊びのお題目





今日は鎌倉




2013年12月19日木曜日

帰宅


根拠のない、証明しようもないのにさも当たり前のように語られる有神論というのは、一時世間を席巻した楽観的なスピリチュアルブームもしかり、行き過ぎるとたまに拒絶反応出るが(という俺もそういう話は本来そんなに嫌いじゃないが)




原理主義的な無神論も人間の感覚や、思考の積み重ねによって構築出来る理論を過信し過ぎていて、危うさを感じる




人間はそこまで私たち自身である人間のことに責任を取りきれないと思うのです






だから原発もやめれ





というのはすり替えだが








2013年12月18日水曜日

とてもいいことだとは思うんだがそれにしても





変な曲しかできねえ








我ながらウケる









差異





相対性







比べる対象との間に生まれる差異









その変化の波にしか旨味って出ないんじゃないか







だったら差異をもっと立体的に理解したらいい







違う価値観を否定してたら差異など起こる訳がない







今いる場所から何も動いてないんだから







動かないと始まらない、ってやつなんだろうね







意識が全てのことまでは調整出来ない、不確実性や偶有性を以てしかデータが取れないって状態なのだろう






だったらむしろ深く考えないで動いたほうがいい





不確実性で遊ぶのが楽しいのは実は今まで何度だって体験してきたから、すぐその体感なら思い出せる






音楽で味わってきた体感




物質と物質には

事故ってありますけど、






意識の中にも事故はあると思うのです







むしろそっちのほうが多いんじゃないか、







外的に視覚や聴覚などの五感から取り入れて認識する、外の世界における事故よりも







自分の意識ですら気付く事の少ない、内部的な事故のほうが多いんじゃないか







意識の狭さは客観性をもってしか判断できない







だから昔っから遊んでばかりだった、なんて開き直れたりするほど自覚はなかったが






主観性が胸くそ悪くなるくらい苦手だったのと、なのにどうしてもそこから逸脱出来なかったという矛盾した自分の性質も両方とも、何がその中で起こっていたのか、なんとなく今では頷ける気がする







ずっと事故が起きていた








同じ「遊んでいる」、という事でも今では昔とその意味が違う








もっと遊ばないとだめだ








そして遊ぶためには、学ぶという姿勢も大切だ








知る姿勢、受け入れる姿勢のないところに気付きなど生まれない








2013年12月14日土曜日

今年もいちねんお世話になりました

今日は忘年会。レックの終わった友達や広島から来てる友達と。


飲み会のときのおれのおおまかなイメージ画です

2013年12月10日火曜日

swedenからの刺客が来日して



susquatchとスタジオに入ります






何するのかって






just




遊ぶんです








その後はハードな







飲み会です












なつかしいの


聴いてますわ、コーシーのみながら






今日は外天気わりーな






年末のちょこちょこ大掃除作戦があまり進まない






横道にすぐそれる





あまり頻繁にそれが起こるといかんけど





ちょこちょこそれる分には気分転換











Number One Gun - The Victory



寒くなってくると空気の張りを感じられる曲を聴く回数が増える







至極当たり前の事だが








今日はまきさんとみーてんぐ





2013年12月3日火曜日

秋道








歩きながら飲むマックのコーヒーが侮れずうまい






最近は晴れてるだけで結構充分だったりする休日





年末の大掃除は今からちょこちょこ終わらせておく派です